Column

2017年10月4日 驚愕の事実が明らかになる!

前回の更新から、約1ヶ月経過。

ちょっとバタバタしてただけで、
このコオロギさま…ではなく、アリさまである。

禁煙もジョギングも、思い立って何かを始めても、
学生時代の部活と仕事以外は長続きした試しがない。

ある組織に収まると、その中で何か責任を果たそうと
頑張れると言うか、耐忍ぶことができるが
自分自身に何かを課して継続することができない。
今に始まったことではないが。

それにしても、もう10月である。
早いな…。

小学時代の1年間はもちろんのこと、
中学時代の数学の授業の50分間、
腹が減って気絶しそうな高校時代の4時間目の方が、
四十路過ぎてからの1年より長く感じたな。

毎年恒例の仕事がいくつかあるが、
どれもつい先日納品したような感覚になる。
この感覚は毎年加速していく。

こんな一瞬で印象にも記憶にも残らずに過ぎていく1年を
あと20〜30回繰り返したら平均寿命だから。

儚いね。

今年はミスチルが25周年とか。
若い人からすると大御所扱いらしいが、
まったくピンとこない。
私からすれば、ついこの間デビューしたバンドの感覚である。

まったく話が変わるが、
最近のテレビ番組のCMの入り方、
ストレスたまりません?

番組後半残り5分くらいで3〜4回CMをたたみ込んでくるでしょ。
1分視聴して、1分半CMとか。

「この後、驚愕の事実が明らかになる!」を引っ張るだけ引っ張る。

私のような職種の人間が言ってはいけないことだが、
このエゲツないCMの入れ方は中々のストレスである。
CMの内容ではなく、あくまでも入れ方の話。

ひどいのになると、
「〜の事実まで3、2、1」とカウントダウンしてCMに入ったりする。

「ねえ、ねえ、なんだと思う?」と、いちいちクイズ形式で
会話してくる人と1日中一緒にいたくらいのストレス。

録画で見ている時はスキップできるが、
ライブで見ている時は、CMに入った途端、
せっかちにチャンネルを切り替え、
挙げ句の果てに「驚愕の事実」を見逃す。

これの繰り返しである。
驚愕の事実まで待てないのである。

スポンサーあってのことだから、仕方ないけど、
一昔前はほぼ等間隔に、例えば15分置きにCMが
入っていたような。
少なくとも今のような偏りはなかったはず。

こんなことにストレスを感じる私、小さいね。

ひつじ年のおひつじ座。
そのせいか、まあ、気も小さければ、器も小さい。

そのくせ、せっかちですぐにイライラする。
ただ、気が小さいので表にすることはなく心の中だけで。

それでいて、ものぐさ極まりない。

当然だけど、デザインや編集の仕事は、
どれだけ細かく根気のいる作業でも、
黙々と何時間でもできる。

それはそうだ。仕事だから。

その反動か、私生活は本当に何をするにも面倒。
食べることやトイレに立つことも面倒くさい。

気が小さくて、せっかちで、ものぐさ。
面倒くさい人間である。

どうでもいいけど、最近「驚愕」って使いすぎ。
大概は「へえ〜」程度の事実なのにね。
人間そんな簡単に驚愕なんてしないから。

驚愕の使いすぎに驚愕である。

ではでは。