Column

2018年10月26日 フリオ・イグレシアスで、かけめぐる青春。

注)
毎回、ほとんど世代ネタだけど、
今回はさらにピンポイントの世代ネタ。


10月20日、18時過ぎ。
所沢の居酒屋。

1年に1回ほどは会っている
高校時代の友人6〜7人の飲み会。

だった予定が、

ちょっとしたはずみで
出席者20人弱のプチ同窓会に発展
(約半数は高校卒業以来の再会)。


15分ほど遅刻して居酒屋に到着。


その時の様子↓




そして↓



さらに↓





その後もしばし困惑↓





その後も↓




もうひとつオマケに↓




挙げ句↓





約3時間、最後まで
フリオ・イグレシアスで、
ごまかしたところも多々あったけど、
ビューティ・ペアもびっくりするくらい
脳内を青春がかけめぐった。


こんな感じ↓





偶然にも3本続いた
記憶の欠片に関するコラム。

自分の記憶力の乏しさを心配したけど、
「高校時代」の記憶に関しては
この日集まったみんなとほぼ同レベル。
大差なかったかな。

1学年10クラス。
自分が何組だったかさえあやふや。
2年時の担任が今も思い出せない。

でもね…

このコラムを書いていて思ったのは、
「覚えている、覚えていない」は
この際どうでもいいということ。

20人近い「同い年・同学年」が
ひと所に集まること自体が
もう完全に非日常。

仕事でクライアントや協力スタッフなど
いろいろな人と会う中で、
同世代の人はいても、
「同い年・同学年」の人となると
そうそういない。

この歳になるとなおさらいない。

また、よく歳を重ねるほど、
「一つ二つの歳の違いは関係ない」
というけど、この違いは意外と大きい。

流行り廃りなんて殆ど1年単位。
ビューティ・ペアや
フリオ・イグレシアスだって、
2〜3年下の人は、
リアルタイムでは知らないと思う。
人気が沸騰したのも消えていくのも
瞬間的だったから。

例えが下手だったかな。

「同い年・同学年」という共通項は
最強だということ。

1歳上下するだけでも
それなりに気を使うもの。

人との距離を縮めたり
親しくなるには、幾つものフィルタを
通過する必要がある。

通常、時間をかけ、少しづつ共通項を
見つけながらフィルタを通過していく。

ところが
「同い年・同学年」という時点で
すでに7割以上のフィルタを通過。

血液型、趣味といった諸々の
フィルタを一気に押しのけてしまう。

その上、同級生(正確には同期生)で
学力も同レベル(失礼)となれば、
もう残りの通過すべきフィルタは、
数%ではないかと。


また、近いうち。


↓ になる前に。





ではでは。