Column

2022年6月20日
大宮市下町三丁目の夕日〈3〉


前回からの続き。

私が1歳から7歳までを過ごした
大宮市下町三丁目の公務員団地。

今は跡形もありません。

団地だけでなく、
埼玉県南部の40歳以上の人なら
知らない人はいない(と思われる)
中央デパート、
ハタプラザ、
市役所前のSL機関車、
大宮市民会館…
これらの古き良き大宮市の
「4大ソウル・ファシリティー」、
みんな無くなってしまいました。

特に寂しかったのが、
大宮市民会館の閉館。

この市民会館、
私の住んでいた団地の
すぐ隣にありました。

遮っているのは
ブロック塀1枚のみ。

8時だよ全員集合!や
コント55号など、
当時の人気番組の収録が
頻繁に行われており、
団地仲間とよく見に行ったものです。

館内で見るのはもちろん、
生放送でしたから、
「入り待ち」「出待ち」を
よくしていましたね。

山口百恵、桜田淳子、
西城秀樹、フィンガー5など
人気絶頂だったアイドルたちが
間近で見れたり。

特に思い出深いのはコント55号。
実は私、一度だけこの番組に
出演したことがあります。
4、5歳だったかな。

収録日当日、
番組スタッフが血相を変えて
我が家のドアを叩きました。

「お宅で収録させてもらえないか」

後から母か姉に聞いた話では
どうやら家族での
夕飯シーン用のセットが、
交通トラブルか何かで
間に合わなくなり、
市民会館に最も近かった我が家に
頼み込んできたとのこと。

もう大騒ぎですよ。
スタッフからは、
ご飯をたくさん炊いて、
コロッケとか、おかずを
山のように買ってきて欲しいと。

騒ぎを聞きつけ、
団地中の人が、
我が家のベランダ先に
集まってきました。

慌ただしく、
照明やらカメラの機材が持ち込まれ、
時の大スター、あの欽ちゃんと
次郎さん登場ですよ。

欽ちゃんがお母さん役、
次郎さんがお父さん役だったかな。

スタッフも、もうこの際
どうでもよくなったのか
「ボクもそこに座ってていいから」
と言われ、私、ちゃっかりと座って
映ってたらしいです。

当時のコント55号は、
欽ちゃんと次郎さんが
破茶滅茶をするのがウリ。

夫婦喧嘩の設定で、
私の前で唾飛ばして
大きな声ではしゃいで
飛んだり跳ねたりしてたような。

当時はビデオデッキもなく、
すぐに撮影できるようなカメラもなく、
記録映像は私の記憶の中にしか
ありません。

場所の提供と私の出演の報酬は
欽ちゃん、次郎さんの
サインだけだったみたい。
そのサインもどこかに
いっちゃいましたけどね。


大宮では、そんな思い出以外に、
6歳の時、交通事故で頭蓋骨を骨折して
ほぼほぼ死にかけたり。

「諦めてください」と
医者から言われたらしいです。
2週間、意識不明のまま
コンコンと眠り続け、
目覚めた時には、
事故の前後の記憶が全くなし。

それと
当時の幼稚園、小学校時(1、2年生)の
淡い恋物語。

当時のクラスメイトで
フルネームでパッと思い出せる子が
3人だけいるのですが、
みんな私が好きになった子。

その中の一人から
ラブレターなるものをもらい
プチ三角関係になったり。

個人的に思うのですが、
記憶というのは
気になる異性が現れた時から
植え付け始められるのかと。

恋心というのは、
街の色や表情、景色とあわせて
郷愁を誘う重要なパーツなのです。

大宮市、ありがとう!

ではでは。