Column

2023年6月6日
踊れないポンポコリン


世間を騒がしている
故ジャニー氏の性加害問題。

数々の噂や疑惑が真実であるなら、
もう、魑魅魍魎ですね。
私は、地味毛量。♨️

ジャニーズといえば、
ダンス、踊りですよね。

心躍る、躍り出る、小躍りするなど
喜びを表現するときの「躍る」ではなく
音楽などに合わせて「踊る」の方です。
私、人生の中で踊ったという
記憶がほとんどありません。

幼稚園の時のお遊戯、
小学生の時のフォークダンスと
マイムマイムくらいです。

当時も嫌々やってましたね。
気恥ずかしくて、
とても揚々と踊る気にはなれませんでした。

今や体育の授業にダンスが
あるとかないとか。
おっそろしい。

自分で言うのもなんですが、
運動神経は悪い方ではなかったので
その気になって取り組めば
そこそこ踊れたのかもしれませんが、
あの気恥ずかしさは
どうにもこうにもブルドックでしたね。

クラブやディスコの類も
行ったことがありません。

小さい頃の近所のお祭りでも
盆踊りの輪に加わったことがありません。

嬉しいときにガッツポーズとかの
アクションはしますけど、
レッツダンスの心境に
なったことがないですし
これからもないでしょう。
デヴィットボウイ、ごめんなさい。

今私がこの風貌で踊り出したら
それこそおどるポンポコリンで
ドン引き〜👆です。


と言うことで
私の好きなフレーズ〜7


ジングルベルに街が
浮き足立った夜
人の声と車の音が飛び交ってる
ニュースは不況をうたい
街には人が溢れた
そしてふらりとあいつは舞い戻ってきた

1975年「かりそめのスイング」より


解説。
3番まである歌詞の1番の冒頭部分。
物語のプロローグ、情景描写です。

この後、サビの部分では今回のコラムの
テーマとなっている「踊る」が
キーワードとして使われています。

二人は去年の同時期、
暗い小さなフロアで踊り狂いました。
ドジョウの踊り食いをしたのでは
ありません。

引きずってきた悲しみを
吐き出すかのように

生きてきた虚しさを
吐きだすかのように、

浮かれたジングルベルを
吐きだすかのように

二人は踊り狂ったわけです。

別れの夜、別れの舞で
ケジメをつけたつもりの二人が
ジングルベルに街が浮き足立つ夜に再会。

ただ、過ぎてしまった時間の中で
変わってしまった二人。
いまさら再会したとて、 どうにもならない状況、
そのやるせなさを
情景と心情を見事に織り交ぜたながら
ひとつの物語に仕上げています。
言葉選び、秀逸です。まさに3分芸術。

あえて二人にとっては
さして重要ではない「かりそめ」の
踊り「スイング」だったという タイトルをつけるセンスも抜群です。

この作者は、クリスマス、
ウエディング、遊園地等々、
通常では「嬉しみ」で使う要素を
すべて「悲しみ」の方向に振ってきます。
ゆえに中毒性が高いともいえます。

毎回、くどいですが、
今回の「かりそめのスイング」
作者が21歳の時の作品です

ではでは。